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執筆者の写真Hiromi komatsu

更新日:2023年2月23日


昔から夢をよく見た。寝ている時にも見たし、起きている時にも見た。

起きている時に見るものは夢ではなくて、正確に言うと幻視というのかもしれないが、幻視というよりむしろフラッシュ映像のようで、しかも実にリアルな臨場感がある。


それは人の顔であったり、虫や獣の質感であったり、何かの物体の破片であったり、ある場所(風景)であったりその時々において何の脈絡もなく突然にやってくるのだ。

たとえば、何かを見て突然にどこかのある匂いが思い出されるときのように(これは誰にでも一度は経験があるかもしれない)、リアルに直接見えるものだけど、たぶん目で見ているものではないような気がする。脳が作り出す勝手な画像とも考えられなくもない。それでも、その画像があまりにも拡大されたように妙にリアルで、見たこともなく、自分の状況や環境とは無関係に唐突に立ち現れることに驚きと戸惑いを感じてしまう。

でもそれは、瞬く間に消え失せるし、意識しなければ一瞬で忘れ去られるので、私だけではなくてたぶん誰にでもそういうことはあるのだろうとずっと思っていた。

そしてそれは、私にとって今のところ意味のあるものではなく、むしろ意味を持たせたくはないものだ。

私は夢や超現実的なことに無理やり意味を見出そうとすることはしたくない。その意味に人々が群がるような表現はしたくないと思っているからだ。


動物たちが同じ時期に全く別な離れた地点でも、同じような行動をとり始めたり、進化していく様子が見受けられることがあるという。彼らは何かを同時に無意識に交信し合っているのかもしれないという。

実は私も同じように、時間や場所を越えて、その時何かをを受信しているという感覚がいつもあった。でも、だからどうということはない。そういうことがあるというだけだ。


私がそのことを人に話すことはめったにない。何故ならそれを聞いた人はたぶん私が頭がおかしいか、あるいはスピリチュアル系にかぶれているか、虚言癖があると思うに違いないと思うからだ。


でも、最近になってそれらの画像を見ることが少なくなってきている。変だなと思い始めているのは確かだ。そして、そのことが自分に少し影響を与えはじめていることにも気づき始めた。


そして、最近になって、その交信がどこかで遮断されている、あるいは断絶されているという感じがしてならない。それは、今の世界の情勢や地球や宇宙といった物質の変化と何か関係があるのか、どうなのかはわからない。でもそれが、以前のような繊細な目に見えない連絡網のようなものが破壊されつつあるということなのか、何かがうまく機能していないような気がしてならない。


あるいは、私自身の脳が壊れはじめていて、どこかで遮断されているのかもしれない。世界はもともと自分自身が作り出している映像であると常々思っているのだから、そういうことがあっても致し方ないことだろうとは思う。


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執筆者の写真Hiromi komatsu

少し前に息子が沼のような中に沈んでいってしまう夢を見た。

夢の中ではまだ幼い息子が、雨の中をぎこちなくどこかにつかまりながら歩いていたのだが、急に泥たまりに足を取られ、なぜかあっという間にその中にブクブクと沈んでいったのだ。

私はあわてて駆け寄り、素手で必死に泥を搔きわけ救出しようとするが、すでに子供の頭は泥の中に埋もれてしまった。早く、早くしないと死んでしまう! 焦りながらいくらやっても泥が粘土のように固く締まっていくばかり。私は大声を上げて助けを求めた。あらん限りの動物のような声を張り上げ必死で何度も叫んだ。

「助けてー! 助けてー! 誰かー、助けてー!! 」


その時の恐怖と不安は今思い出しても胸が痛くなる。

うなされていたらしい私は、目覚めてからもしばらくはドキドキして悲しかった。夢だったということに安堵はしても、夢の中の子供はもう死んでしまったのだという恐ろしい気持ちがぐるぐると回っていた。


今、ウクライナで起こっていること。どれだけの人々がこんな恐怖と悲しみを現実に抱いているのだろう。それは夢なんかではなく、近親者の死や苦悩がどれだけの痛みを伴って人々の胸に突き刺さるものか、それを経験した人にしかわからないのかもしれない。それでも、想像することは出来る。もしも、そこに居るのが自分だったら、腕の中に血まみれの我が子を抱いているとしたら…。戦争はそんな個人には目を向けず、空の上から爆弾を落とすというミッションを繰り返す。そして、戦争は悲しみを憎しみにも変える。

もうたくさんだという思いと自分の無力感の中で、いったいどんな絵が描けるというのだろう。そして、絵を描くことにどんな意味があるというのだろうという気持ちが今の自分に筆を握らせないでいる。



外は晴れている。

梅が咲き始め、穏やかな風に洗濯物が揺れている。

春はもうすぐここにやって来て草花が芽吹き、小さな生き物がもぞもぞと活発に動き始めるだろう。

私は空を見上げて陽の光に感謝するだろう。

今年は庭に何の野菜を植えようか、珈琲カスで肥料を作ってみようかなどと考えるかもしれない。


それはとても不思議なことだ。

同じ空の下でパラレルワールドのように行ったり来たりする。この世界は正義感や政治経済の流用する現実と呼ばれる場所と、もう一つ自分の中の真実の場所がある。

でもそれは分断されていなくて、地続きのようで、でも繋がっているかと言えばそうとも言えず、同時に声を上げても違う言葉で、手を伸ばして掴もうとすると形を失い、うまく伝えられなくて伝わったと思うそばから逃げてゆく、そんな不思議な場所に私は立っている。


そう思うことでしか今の自分を支える言葉がない。


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執筆者の写真Hiromi komatsu

更新日:2022年3月9日


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「バスに乗って」


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※本編は2003年に書いた3つの短編「アリと砂糖」「夜桜」「噛まれる」をまとめたものです。


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