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​ガラクタで作った小さなオブジェたち

​日常の中には様々なものがころがっています。大切なもの、いとおしいもの、使わなくなったもの、すてられたもの・・・私は時々、ちいさなとるに足らないようなガラクタを見つけては、手にとってじっとながめてしまいます。何かの部品だったものや壊れてしまったかけらも、よく見ると用途がうしなわれたものは、それだけでなんというか自力で存在している様に思えるのです。

そんなもののいくつかをいつも箱にとっておいて、時々、また、思い出しては眺めたりします。けしてきれいなものでもなく、特に愛着があったわけでもなく、たぶん普通にはゴミ箱に直行するようなこわれもの、プラスティックの破片さえ、なぜか気になるものは私の箱の中におさまります。

この世の中には、美しい造形を持った自然物や生命のエネルギーに満ちている形も沢山あるし、とても素晴らしいなあと思うこともしばしばです。

でも、この世に人の手によって生まれて出てしまった加工物、人が作っては捨て、作っては捨てしているのに、嫌われもののプラスティックのゴミも、私はそれらがなぜそんなにぞんざいに扱われなければならないのか、時に哀しく辛くなります。

それはまるで、一番初めに「ドリー」という名の羊がこの世に科学の手によって生まれてきてしまった時の哀しみに似て、もはやどうすることも出来ない現象なのでしょうか。

この壊され、捨てられていくものたちを私はいつからか繋ぎ合わせて、もう一つの何か命あるもの、みたいなもの、を作りたいと思いました。なかば弔いのような気持ちで、でも、面白いもの、私の手の中で不思議な言葉で話しかけてくるようなもの。それは、いつか、いとおしいものにもなりました。

「変形」。この世のすべてが必ず変化をとげるように、地球も人も精神も社会もあたりまえがあたりまえでなくなり、未来にどんな驚くべき変化が待ち受けているやもしれないけれど、今、目の前にあるモノたちを私はいつもじっと見つめてしまいます。耳を澄ますとそこには、かすかな、かすかな声がきこえてくるような気がするからです。

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